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行ってきます

早朝、「手をつないで生ききって」(在宅ホスピス医 内藤いづみ ふじ内科クリニック)という記事を読んでいました。がん治療の効果が得られず最期の時間を自宅で過ごすと決めた女性の話。


「病院にいる限り息子に会えない。だから家に帰りたい」と思ったのです。そして、1人で私のところに来ました。「先生、私は1回でも多く息子に『行ってらっしゃい』『お帰りなさい』を言いたいんです」
(略)
1、2日後、私たちが往診して女性のところにいると、彼女にとって最愛の息子が学校から帰ってきました。ドアを開けて「お母さん、ただいま」と大きな声で言うと、昏睡状態だったはずの女性が、いつものお母さんの声で「お帰りなさい」と言ったんです。


── 手をつないで生ききって | 在宅ホスピス医 内藤いづみ ふじ内科クリニック



きっとこれは、奇跡の類の話。そうそう起こることじゃない。だから、こうして記事になっている。
そう思うことしかできませんでした。

その記事を読んだ数時間後。私は、都内のホスピスにお見舞いに行きました。うんと年は離れているけれど、大学で共に過ごした人。

先月は自力で電車に乗ってきて、いつものようにビールも飲んで「がんのステージ4だなんてウソなんじゃないかと思う」と言っていたのに、目を疑うほどの衰弱。病室に名前の書いたタオルが下がっていなかったら、確信が持てないほどの変貌ぶり。

そう言えば、先の記事ではこんなことも書いてありました。


がんという病気は(亡くなる前の)1、2週間、動きがだんだん重くなってベッドにいる状態が続きます。そして1~2日間、昏睡状態になって、亡くなるというプロセスを経ます。


── 手をつないで生ききって | 在宅ホスピス医 内藤いづみ ふじ内科クリニック



表情がないまま「あー」とも「うー」ともつかない音声が時折口から発せられ、手や肩がピクッと動く。病院で見慣れた寝たきりの姿がそこにありました。声を発しても、数秒後には眠りの中に入ってしまう状態。
2日間の昏睡から覚めただけでも、すごいのかもしれないと思いました。

どこにも焦点の合わない濁った瞳が私を認識できると思えなかったけれど、手を握り、頬をさすり、手応えのない独り言のような語りかけをしたのでした。

お互いの仲間の話。あの人がどうだのこの人がどうだのメールが来ただの、近況とか、お見舞いに来る予定の話。

すると、急に目に力が戻り、こちらを見て、優しい表情になりました。

意識がつながった。つながるという言葉しかしっくり来ない気がしました。
声は出ないし、返事はないけれど、ちゃんと伝わっている…と確信を持つことができました。

来られない人の思いも、届けることができたでしょうか。

時間が押し迫ってきて、「じゃあ、これから仕事に行ってくるね」と彼女に伝えると、それまでの音とは違う、私が今まで聞いてきた力強いよく通る大きな声で「行ってらっしゃい!」と言ってくれたのでした。満面の笑みで。

まだそんな力が出せるんだ。
奇跡ではなく、起こることなんだ。

ああ、でも、その言葉、その笑顔、本当は愛娘に贈ってあげるものではなかったのか。私が受け取っていいのだろうか。ギリギリまで在宅で過ごし、その後ホスピスに入ることを選んだのは、1回でも多く娘さんに「行ってらっしゃい」「お帰りなさい」を言うためじゃなかったのか。数時間前に読んだ記事が頭のなかで繰り返されて仕方ありませんでした。

答えの出るはずのない葛藤を抱えながら、病院を後にしました。



24時間後、彼女が息を引き取ったと連絡が入りました。

あの日行かなければ、会うことは叶わなかった。私はきっとそういう立ち回り、役どころなのです。

シュンペーターを論じつつ、おいしい酒を飲み笑いながらパーティー形式でお別れ会をするようにと念を押されていたけれど、難しいよ、それ。元気な姿しか知らなければ、もう少し頑張れたのかもしれないけど。先生や先輩たちの力を借りて、頑張ってはみるけど。私は経済学の本を読むのが苦手だから、時間が必要だと思うよ。

親族からお誘いいただいた告別式には、行くもつりです。まあ、本人には来るなと言われていたのだけど、もうここまで来たら行くしかないでしょう。見届けて、先生や先輩に伝える役なのですよ、きっと。あ、そう言えば、学生の頃に泣き女に任命されたのでした。役割を果たしましょう。

笑えるようになったら寄せる年波のアラを隠すべくちゃんとお化粧するけど、告別式には私らしく素っぴんで行ってきます。

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