じっと手を見る

働けど働けどわが暮らし楽にならざり…じっと手を見る。手相はラッキーそうなのに。
という心境だったりする今日この頃。

最近、手相の話題になりましてね。こんな手相だと幸運だとか、いろいろ言われるわけです。私は別に手相に傾倒しているとか詳しいなどということはなく、よく聞くワードだけ知っているくらいの浅い知識しかありません。

「わ、神秘十字ある!」と無邪気に喜ぶ人に「ある?」と聞かれたので、答えました。

神秘十字と仏眼とラッキーM線が両手に、星紋と魚紋もあるし、五芒星ができかけているよ。どう、この現状?

「……」

やばい。手相に希望が持てない人を作ってしまった。



ここで話が終わるのもなんなので、昔話を。

中学の時、国語の授業が変わってましてね。教科書で取り上げた作品の世界観の前後の話を自分で想像して書くという授業だったか、宿題だったかがありました。

今考えたら、それって、二次創作じゃありませんか!

私はどの作品をどう書いたのかまったく覚えていないんですが、きっと真面目につまらないことを書いたんじゃないかと思います。でも、国語教師の狙いどおりだったはず。

石川啄木を主人公に当時の著名人との交流を描いた、まごうことなき二次創作を書いた人がいました。その人が書いてたんですね。

「啄木はじっと自分の手を見た。手相が悪い。ダメだ、こりゃ」

今日の冒頭は、その辺のオマージュです(笑)。

なにせ、二次創作がさほど盛んではない時代。そんな創作ができるって、当時も驚いたけど、今考えてもスゴイ! 中学生が学校の授業の一環で書いたものなので、悪いことと言ったら、友人から金を借りるくらいのネタで、ケンカはするけどそれ以上の事件にはならず。どうしても笑いを取るほうに爆走するのですが。

そう言えばあの頃、国語のテストが毎度、大喜利コーナーみたいになっていて、珍回答が発表されていました。それだけで、授業がひとコマつぶれていましたからね。大豊作でした。緩くて長閑だった。進学校を受験する人たちの親からクレームが来るわけだ(笑)。

今思えば、二次創作するのも笑いを取るのも、人生を楽しく生きるコツの一つですね。あの先生、意外と良いことしてくれたんだなぁ…とちょっと愉快になりました。

この記事へのコメント

加藤
2020年11月30日 17:34
昔話の続きやスピンオフも面白いですものね。
良い授業ではありませんか。
考えられる子を育てようとする今どきの教育方針に合っているかもしれませんよ?
でも私は中学の頃はなんのアイデアも浮かばない子でその授業はかなり苦痛だったかもしれません。
手相がわからないから書けない、と真面目に落ち込むタイプだったと思います。
というわけで手相には乗れなかったので、ナウシカっぽく「働き者の綺麗な手だ」と言ってあげましょう(^^)
もも
2020年11月30日 18:44
◆加藤さん
日本の学校からの教育は、たった一つの正解を出せれば良し、出せなければ落ちこぼれ、みたいなところがあると感じますね。だから、思考や考察、想像と創造する力を育てることにはつながらない。大人となって生きていくには必要なのに。
異質で面白い先生のやり方は、時代先取りだったかもしれませんね。今からながら気づいて「先生、やるじゃん!」と、思ったのでした。
「声を出せ!」という方針もユニークでしたな〜。「声に出して読みたい日本語」という本や番組が出てくるのは、そのずーっと後のことでした。

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